次なるターゲット、アンジェリカ・ミルフーヴァ。
サキ・イチミヤと同じアカデミーの学生であるが、こちらの方が捕獲の難易度は高い。
それには2つ理由があった。
1つ目は通っているアカデミーの違いだ。
アンジェリカが通っているのは私立セントヴィーナアカデミー。公立C9アカデミーと違って設立されたのはここ十数年前の話で、非常に新しい施設である。C9コロニーに関わる政財界のお偉方がこぞって出資しており、外観や設備、教育体制がとても良いと評判だ。
もちろん警備面でも抜け目がなく、最新型の警備ドローンや防犯システムが常に睨みを利かせている。部外者はアカデミーの正面出入口に数分立ち尽くしているだけで、警備ドローンにスキャンされてしまう。サキの時みたいにアカデミー内で情報収集するのは不可能そうだ。
2つ目はミルフーヴァ家の人間であること。
コロニーでも屈指の名家であるミルフーヴァ家。アンジェリカはそのご令嬢だ。
アカデミーの登下校は基本的に自家用車で送迎してもらっている。サキのように下校中に声をかけて人気のないところに誘い出すといった手法は使えない。
セントヴィーナアカデミーの出入口から少し離れたところ、ギリギリ警備の巡回に引っかからない場所からドローンで撮影していると、アンジェリカが数名のクラスメイトと共に外に出てきた。
距離があるので音声は拾えないが、楽しそうに談笑している。校門を出てから少し進んだ先、黒塗りの高級車が停まっているのを発見すると、彼女はクラスメイトにお辞儀をして車に乗り込んだ。口の動きから「ごきげんよう」とでも言ったのだろうか、その一連の仕草は優美で惚れ惚れするものだった。
「下調べのときから分かってはいたが、やはり隙がないな」
ターゲットを選定する際、捕獲のしやすさをポイントに考えていたはずだった。その点で見ればアンジェリカを拉致するのはいわゆる無理ゲー、手を出すべきではない相手である。
だが、俺はどうしてもあの娘を手に入れたかった。一目見たあのときから惚れてしまい、俺の船に連れ込んで、性奴隷として侍らせたかった。
この本心から目を背けて、安牌な獲物しか襲えない程度の覚悟ならば、どのみち俺はどこかでしくじり、計画は頓挫するだろう。
アンジェリカの拉致は、俺にとって突破しなければならない難関となった。
「このままアンジェリカだけ追っていたんじゃ、今以上の情報を得ることは難しいだろうな」
下調べとこれまでの数回の調査で、アンジェリカが送迎車に乗るところしか観察できていない。そろそろ別の角度からアプローチする必要がありそうだ。
そこで俺は、先ほど彼女と別れたクラスメイト達に目を向けた。そのうち2人は歩いて下校しており、ドローンで追うことが可能そうだ。
気づかれないように距離を保ちつつドローンを接近させると、運良く彼女達がアンジェリカの話をしていた。
「アンジェちゃん、本当にカワイくて良い子よね〜」
「ね、見た目も仕草もお人形さんみたいに綺麗だし、成績も優秀で大企業の社長令嬢なのに、全然それを鼻にかけないし」
「しかもあれでバイオリンまで弾けるって…天は何物を与え給うのかしら」
「そういえば、今度演奏会に出るらしいよ。ノースカペラホールで」
「え、結構デカいとこじゃない?」
「うん、プロの交響楽団関係者も観にくるって言ってたから、レベル高いんじゃないかな」
「うわ〜、すごいやつじゃん。なんかもう、別次元の人間みたいだよね。あれでまだ14歳だし」
「あたし達からしたら、妹みたいな年齢だよね」
「将来は会社を継ぐのかな?」
「そうなんじゃない?」
…アンジェリカについての内容は大体ここまでだった。
その後は話題が切り替わっていったため、ドローンでの諜報をストップした。
「ノースカペラホールで演奏会、か」
非常にツイている。彼女に関するアカデミー以外でのスケジュール情報を入手できるとは。
さっそく演奏会について検索してみると、女学生達が話していたことは確かであった。
ノースカペラホールはC9コロニーの中央部に建っており、音楽、観劇、展示会、記者会見など様々な用途に使用されている公共施設だ。
アンジェリカが出場する予定の演奏会は、近隣のC6、C7、C8コロニーからも参加者を集めたそこそこ大きな規模のイベントである。
演奏会と銘打ってはいるが、宇宙を股に公演活動をしているオーケストラ集団、『銀河交響楽団』の人間が視察に来る。ここで目に留まれば、将来の交響楽団入りに近づくという、音楽の道を志す者にとっては重要な会のようだ。
「そうなると、彼女は将来音楽家にでもなるつもりなのか…?」
もっとも、アンジェリカの目指す道がなんであろうと関係ない。
その前に俺が立ち塞がり、道から引き摺り落としてやるのだから。
「次にやることは決まったな」
さっそく俺は演奏会当日にどのように立ち回るか、頭の中でシミュレーションを開始した。
・・・・・・
3日後。
ノースカペラホールの客席に俺は座っていた。
演奏会の観覧は関係者以外もできるようになっているのが幸いだった。とはいえ、プロの公演でもない発表会をわざわざ見に来るような酔狂はそういない。
客席を見渡してみれば、自分の子供の演奏時以外は退席しているような人間、暇つぶしが目的でほとんど寝ている人間などザラにいた。
熱心に演奏を聴いているように見える客の中には、その視線が好色にまみれている者もいた。俺も自らの目的を考えれば、人のことは言えないのだが。
しばらく適当にその他の奏者の演奏を聞き流していると、ようやくその時が訪れた。
『続いての演奏者は、アンジェリカ・ミルフーヴァ。C9コロニー、私立セントヴィーナアカデミー所属。曲名は…』
客席がざわついている。それだけミルフーヴァ家の存在はよく知られているらしい。
コツ、コツ、コツ…
ステージ中央に歩く彼女の姿は、それだけで会場にいる者の目を釘付けにした。
俺もアカデミー以外で初めて、彼女の生の姿をしっかり見つめることができた。
ふわりとなびく金髪。
あどけなさの中に気品漂わせる顔立ち。
流れるような優美な動作。
まるで着せ替え人形のように綺麗な少女は、ゆっくりとお辞儀をしてバイオリンを構えた。
音楽はからっきしだったが、他の奏者との比較でわかった。
彼女の奏でるバイオリンは、綺麗で伸びのある音色だ。
ほぼ全て正しい音程で弾ける人間はこれまでにも何人かいたが、そんなことは当たり前。
アンジェリカの演奏には、ぎこちない、気持ち悪い感じの音が混じっていなかった。
すんなりと耳に入り込み、脳に心地良さをもたらしてくれる。
「天使…」
あまりにも美しい音色と演奏する姿に、どこからかそう彼女を評する声が聞こえてきた。
演奏中に席を立つ者は誰一人としておらず、会場全体が彼女に注目していた。
前に座る観客の中に、右手を伸ばす男がいた。
触れたい、手を取りたい、自分のモノにしたい。そんな劣情が彼を無意識にそんな行動に駆り立てたのか。
だが彼女は光り輝くステージの上。家柄と才覚に恵まれた彼女に、暗い客席に並ぶ男たちは手が届かない。
今、演奏会におけるアンジェリカと客席の構図は、残酷なまでにその関係性を表したものとなっていた。
「くくく…」
俺の含み笑いは、美しい音色に掻き消されて誰にも聴こえなかっただろう。
それでも俺は、彼女をモノにすることを諦めようとは微塵も思わなかった。
なぜなら俺は、そこらにいる男どもとは比較にならないほど、闇の中で黒い感情を膨らませる人間だからだ。
光が強くなればなるほど、影ははっきりと濃く映し出される。
アンジェリカを手中に収めるに相応しいのは、ドス黒い欲望に染まった俺に他ならない。
(なんとしても、我が姦獄艦に招き入れてやる)
福音の如き演奏に感化されることなく、俺は自らの闇をさらに深くしていくのだった…