結局、演奏会の金賞はアンジェリカが手にした。
表彰式の後、彼女は音楽関係の記者からのインタビューに加え、交響楽団関係者からのスカウトへの対応に追われていた。
およそ2時間に渡りその様子を遠巻きに眺めているのは退屈で仕方なかったが、ここで彼女を見失うとまたアカデミー前での地道な情報収集に逆戻りしてしまう。
少しでも今後の動向に関する手がかりを得るため、俺はほとぼりが冷めるまで待機していた。
やがて彼女を取り巻く人間が去っていった後、ノースカペラホールの外に出て帰路につこうとする彼女に一人の男性が声をかけにいった。
俺は周囲に誰もいないことを確認し、盗聴ドローンを2人の元へ近づけた。
「アンジェリカ様、お疲れ様でした」
ワックスでオールバックにまとめた髪と、ブラウンのスーツ姿が特徴的な男は、インタビューの間も彼女の傍で控えているのを見た。
「お待たせしてすみません、フォルデ先生。お父さまと、お母さまは?」
「記者への応対が済んだ後、本社に戻られました。お二人とも、アンジェリカ様のご活躍を喜んでいましたよ」
「そうですか…よかった」
アンジェリカの表情は、言葉と裏腹に晴れない。
やはり両親が忙しく、娘の活躍を見届けてすぐ仕事に戻ったのが寂しかったのだろうか。
せめて会話でも交わしたかったのかもしれないが、あれだけ記者や関係者に引っ張りだこにされては難しかっただろう。
「先生、それで…その…」
アンジェリカはなにか言いたそうにしているが、言葉にならない。
フォルデも言いづらそうな表情をした後、急に頭を下げた。
「申し訳ございません、アンジェリカ様。貴女のバイオリニストになりたいという想いを、ご両親に伝えられませんでした…」
「そうですか…」
フォルデは端末を操作すると、ホログラムウィンドウを表示した。
「お父さまから伝言を預かっております」
画面に映る壮年の男性はニュース記事や配信番組で何度も見たことがある。アンジェリカの父親だった。
フォルデがウィンドウに触れると、画面の中の男性の口が動いた。
『アンジェリカ、金賞受賞おめでとう。この私も父親として、ミルフーヴァ家の人間として誇りに思うよ』
その声や表情は穏やかで、父親の姿というものなのだろう。
だがアンジェリカは誉められているのに笑顔がなかった。
『勉学もアカデミーでトップクラスの成績を維持し、その上バイオリンという一芸にも秀でている。順調に成長を遂げてくれてとても嬉しいよ』
「………」
『これからもしっかりと励むんだよ。君はいずれミルフーヴァ家を継ぐ、たった一人の大事な娘なのだから』
ビデオメッセージはそこで終了だった。
二人の間に気まずい空気が漂っていた。
沈黙を破ったのはアンジェリカだった。
「先生、私はどうすれば良いのでしょうか…?」
「アンジェリカ様…」
フォルデは少し間を置いて、彼女に諭すように伝えた。
「どうすれば良いのか、ではなく、貴女がどうしたいのか、今の気持ちを教えてください」
「………」
アンジェリカはしばし俯き、逡巡する。おそらく彼女の本心は、両親の期待を裏切るものになるのかもしれない。
大きく息を吐き、気持ちを整理してから彼女はぽつぽつと語り出した。
「私は…お父さまとお母さまにとって、良い娘でいられているのでしょうね。でも…」
彼女は胸の辺りになにかつっかえたような、苦い表情を浮かべた。溜め込んでいたものを吐き出すように、思いの丈を述べた。
「私がバイオリンをやっているのは、ミルフーヴァ家の人間として箔をつけるためじゃないんです! 嗜みとしてではなく、もっと上手くなって大勢の人の前で披露して、みなさんに美しい音色を届けて感動させたい!」
フォルデに訴えかけるように、アンジェリカは彼の目を見据えて言った。
「私はプロのバイオリニストになりたいんです!」
「…ええ、わかっております」
フォルデは申し訳なさそうに、アンジェリカの言葉を受け止めた。
おそらくだが、仕事で忙しく、娘が家業を継ぐものだと思っている両親に『娘がプロのバイオリニストになりたがっている』などと言いづらいのだろう。それでも講師としては、衝突を覚悟の上でアンジェリカの気持ちを伝えてやるべきのはずだ。
フォルデはそれを今日できなかったことを後悔しているようだった。
「申し訳ございません、アンジェリカ様。今度は必ずご両親にお伝え致します。いえ、それだけではダメですね」
フォルデは首を横に振って、決意の表情を浮かべた。
「ご両親をなんとしてでも、説得してみせます。貴女には間違いなく、プロとしてやっていく才能があるのだから」
「ありがとうございます、先生」
アンジェリカは礼を言いつつも、不安げな表情は消えていなかった。決意はできても、両親がどんな反応をするのか想像したら怖いのだろう。
先ほどのビデオメッセージの中でさえ、ミルフーヴァ家のことが大事なのがよくわかる父親だ。娘が家業を継がずに音楽家になるなど言い出したら、悲しんだり怒ったりするであろうことが俺にも想像できる。
「先生、以前相談したスタジオでの追加レッスンの件、もう明日からよろしくお願いします」
「お父さまとお母さまに相談はしなくてよろしいのですか?」
「話を聞いてもらえるかわかりませんし、許しを待っていたら時間がもったいないです。友人の家で一緒に勉強をするとでも伝えれば、ごまかせますから大丈夫です」
アンジェリカはなにか吹っ切れたような雰囲気だった。
「次にフォルデ先生がお父さまとお母さまにお話する際、私は2人の前で演奏を披露してみせます。実力を上げていることを証明すれば、2人もわかってくださると思います。そのためにも、練習の時間をもっと増やしたいです」
なるほど、自分の本気度を伝えるために、もっと腕を磨くつもりか。
「夢を叶えたいなら、親の言うとおりにしているだけではダメだとわかりました。自分で行動を起こさないと、ですね」
「アンジェリカ様…」
フォルデは少し困惑したが、アンジェリカの決意が固いことを感じたようだ。
「わかりました。ではアカデミーが終わってから、練習に来られる日程をご連絡ください。スタジオが空いている日は、コーチいたします」
「感謝いたします、フォルデ先生」
話がまとまり、2人は車に乗り込んだ。おそらくフォルデはアンジェリカの送迎も担当しているのだろう。
バイオリンの講師と生徒という関係に過ぎないはずだが、それだけこの2人はお互いを信頼し合っているということか。
いずれにしても、演奏会が終わってから待っていた甲斐があった。アンジェリカに関して新しい情報を得ることができた。
しかも明日からのアンジェリカの行動パターンは、俺の拉致計画に大きく有利に働くものになりそうだ。
家に内緒でバイオリン教室のスタジオに通うとなれば、当然家の送迎車は使用できないだろう。これで彼女の行動スケジュールにつけいる隙ができた。
アンジェリカが両親にプロ志向を伝えるのがいつになるかわからないが、それまでの間に拉致を完了させたい。
彼女の拉致計画において重要となるのが、フォルデの存在だ。彼をうまく利用すれば、ミルフーヴァ家に気づかれることなくアンジェリカを連れ去ることが可能になるかもしれない。
「よし、急いでフォルデの経営しているスタジオを調べないとな」
俺は盗聴ドローンを回収してノースカペラホールを後にした。
調査やシミュレーションが必要なことがたくさんあるが、難関と思われたアンジェリカの拉致計画が一歩前に進んだ気がする。
運も味方していることを感じ、俺はニヤつきながら姦獄艦への帰路についた…