ノースカペラホールでの演奏会後、俺はフォルデの経歴と、彼が開催していると思われる音楽教室について調べてみた。
フォルデ、バイオリン、ラムーラC9など、関連するワードで検索すると目的の情報を拾うことができた。
フォルデ・マカーニは、かつてプロのバイオリニストだった。
銀河交響楽団に所属していた経歴を持ち、いくつもの演奏会で入賞を果たしている。
それでもトップレベルのプロとして居続けることは叶わなかったようで、楽団を抜けてからはバイオリンのコーチを仕事にして生計を立てていた。
どういう経緯で彼がアンジェリカのバイオリン講師を引き受けたのかまではわからないが、彼の経歴や実績、なにより同じC9コロニーに住んでいることを考えれば適任だっただろう。
彼のバイオリン教室はコロニー南部の繁華街にあった。雑居ビルの地下のワンフロアを借りて経営している。
週の特定の曜日は生徒の家に出向いてコーチをしているようで、この中にはアンジェリカのレッスンも含まれているのだろう。
先日の話を踏まえて考えれば、今後アンジェリカはアカデミーの授業が終わった後、このスタジオに来て更なる個人レッスンを受けることになる。
ビル周辺は死角が多く、彼女に襲いかかること自体は簡単にできる。
だが、拉致成功の可能性をより高めるのであれば、なるべくアンジェリカが誘拐されたという事実の発覚を遅らせたい。
そのための計画ももう考えてある。要となるのはフォルデだ。
「あいつをうまく利用してやれば、アンジェリカを拉致した後も動きが取りやすくなりそうだ」
俺はバイオリン教室の位置を特定してから数日、繁華街に盗撮用のドローンを設置し、アンジェリカとフォルデのビルへの出入りを確認した。
1週間見張って、そのうち5日、アンジェリカはセントヴィーナアカデミーの終業後にバイオリン教室に足を運んでいた。
帰る時間は日によって違うが、ほぼ毎日通うということはそれだけ本気なのだろう。
そんな日が続けば、必然的にビルの外で会話する機会も増えた。
ビルの外の会話なら、いくらでも盗聴できる。
「先生、今日もありがとうございました」
「おつかれさまでした、アンジェリカ様。それにしても今日は遅くなりましたが、門限は大丈夫なのですか?」
「ほとんどないようなものです。お父さまとお母さまは、もっと遅くに帰ってきますから。家のことはアンドロイドがしてくれますし、生活に問題はありません」
「そうですか」
「あの、先生…」
会話の途中で、アンジェリカが遠慮がちに言った。
「はい、なんでしょうか?」
「その、ここに来るときは、『アンジェ』と呼んでもらえませんか? 言葉遣いも、気にしなくていいので…」
「そんな、それは失礼です。だって貴女はあのミルフーヴァ家の…」
言いかけて、フォルデはハッとなった。アンジェリカが望むのは、ミルフーヴァ家の令嬢としての扱いではない。一人のプロバイオリニストを目指す生徒として接することだ。そのために彼女は、わざわざ繁華街まで足を運んでいるのだから。
「…わかったよ、アンジェ。これでいいかい?」
彼女の気持ちに気づいたフォルデは、まだぎこちないながらも敬語抜きで話し始めた。
「はい…! それがいいです、先生!」
「指導に熱が入って、少しキツい物言いになるかもしれないけど、構わないかな?」
「う…それは、お手柔らかにお願いします…」
アンジェリカの反応にフォルデが笑った。初めて見る自然な笑顔だった。
やれやれだ。二人とも個人レッスンにかまけて、どんどん親しさを増している。
だが2人はこれから、こうして距離を縮めたことを後悔することになるだろう。大人しく安全な屋敷で練習していれば、こんな隙を見せて狙われることもなかったというのに。
「くくく…夢を追う日常が壊されたとき、2人はどんな顔をするんだろうな…?」
俺は邪悪な笑みを浮かべて、いよいよアンジェリカを拉致するための計画を頭の中で煮詰めていくのだった。
・・・・・・
いよいよアンジェリカの拉致実行の日が来た。
この日も彼女はアカデミーを終えたら、フォルデの音楽教室に足を運ぶ予定となっている。
今回の計画では、彼女に手を出す前にやるべきことがある。
目的の人物の姿が見えた。
フォルデは別の生徒の家にレッスンに出向き、それが先ほど終了して拠点に戻ってきたところだ。これから彼はアンジェリカのために準備をすることだろう。
だが、それも今日で終わりとなる。彼にはもう、アンジェリカの顔を拝むことさえ許されない。
ビルの影に身を潜め、フォルデが通り過ぎるのを待つ。
彼が目の前を通過した後、周囲に目撃者がいないことを確認。射撃可能な状況になり、俺は光線銃を構えた。
光線銃を使うとはいっても、今回は彼を傷つけるわけではない。この銃には非殺傷用のモードが搭載されている。
「スタンモード」
そう呟くと光線銃のパーツが形を変えた。
目当てのパーツになっていることを確認すると、俺はフォルデの背中に銃口を向け、引き金を引いた。
バシュッ! ジジジジジ!!
「うぁぁぁぁっ!!?」
銃弾は見事彼に命中した。
だが鮮血が飛び散ったり、服が裂けたりすることはない。彼の身体は電流によってガクガクと震え、地面に倒れ伏した。
「あ、あぁ、がっ…」
スタンモードは標的を痺れさせて無力化する銃弾を放つ。フォルデの身柄を利用したい今回の計画に有効なモードだ。
「さて、と…」
俺は倒れた彼に近づくと、黒い袋を頭に被せた。
「うっ…な、なにをするんだ…!? お前は、誰だ…?」
視界を塞ぐ袋を取り払おうとするが、痺れて腕がうまく動かない。
俺はその腕を取って背中に回して手錠で拘束すると、ドスを効かせた声で囁いた。
「静かにしろ。命が惜しければ、おとなしく言うことを聞け」
フォルデのこめかみに光線銃を突きつけた。
視界を塞がれていても、それがなんなのか理解した彼は騒ぎ立てるのをやめた。
「わ、わかった…! 従うから、殺さないでくれ…!」
「いい返事だ。おかしな真似はするなよ? 立て」
俺はフォルデを引き立てると、彼が拠点とするビルへ一緒に向かった。
ビルの入口の前に辿り着くと、俺は次の指示を出した。
「右手をかざせ。お前の手首のデバイスが鍵になっていることは知っている」
「うぅ…」
フォルデはとぼけても無駄だと悟り、扉の傍に立つ機械に右手をかざした。ビルのテナントの関係者には扉を開錠するパスコードが与えられており、フォルデの場合は右手首のデバイスにコードが保存されていた。そのデバイスを読み取り用の機械にかざせば、ロックが解除される仕組みになっている。
カチッ。
音がして、扉が開いた。
俺はフォルデを連れて中に入り、階段を下って音楽教室のあるフロアに到着した。
音楽教室の入口の扉も先程と同様の手口で開け、中に入るとすぐに鍵を閉めた。
「ここがお前の音楽教室か。なかなかに立派だな」
壁には防音加工も施されており、中で多少騒いでも外にバレることはなさそうだ。
「い、いったい僕に何をするつもりなんだ…!?」
フォルデが震える声で訊いてきた。
「くくく、そう怖がるな。お前はなにもしなくていいし、これ以上なにかをすることもない」
俺は再び光線銃をスタンモードにしてフォルデに突きつけた。
「ただしばらく眠って、起きたらこちらの指示に従うだけでいい。なんなら今日起きたことは、忘れてしまうのもアリかもしれないな?」
「ふ、ふざけているのか!? こんなことをされて、忘れることなんて…!」
それ以上の抗議の言葉を聞いてやる必要はなかった。俺はスタン銃の引き金を引いた。
フォルデは「ぎゃっ」と悲鳴をあげ、何度か大きく痙攣すると気絶した。
今度のスタン銃は先ほどの一発よりも出力を上げている。やりすぎると命に関わるが、今回のは最悪でも2〜3日痺れが続くくらいで済む。
「そう、忘れてしまった方がいいさ。なぜなら…」
俺はフォルデを冷たい目で見下ろして告げた。
「アンジェリカはお前のせいで、この俺に連れ去られるんだからな」